求めている未来、落胆の現実、ささやかな生活:音楽
2008-03-22T02:07:40+09:00
solitarylife
機嫌がいいとイベント日記か趣味考察、落ち込んでいるときは内面の葛藤を書くと思う
Excite Blog
floating
http://floating.exblog.jp/8487008/
2008-03-20T19:47:00+09:00
2008-03-22T02:07:40+09:00
2008-03-20T19:40:44+09:00
solitarylife
音楽
このブログのURL
http://floating.exblog.jp/
は、ジュリー・クルーズのアルバム
「フローティング・イントゥー・ザ・ナイト」
からとっている。
すでに世界シーンからは消えてしまった歌手だが、デビットリンチのファンにはなじみ深い。
まずは一曲
Rockin' Back Inside My Heart
上のタイトルクリックでPVが開きます。
ジャズをベースにニューエイジミュージックをブレンドし、とてつもなく暗く湿った世界観から高音を放つ。
ジュリークルーズは、1990年のテレビドラマ「ツインピークス」の主題歌
Falling
でブレイク。
デヴィッドリンチプロデュースによりアルバム2枚が制作された。
怪しげなジャケットはリンチ作。
デビューアルバムは下のほう、夜の水辺か?死体が漂っている。
「floating・into・the・night」
作詞はリンチ、作曲はリンチ映画にはかかせない、イタリアの奇才アンジェロ・バダラメンティ。
リンチワールドの要である。
特筆点はまだある。
リンチ - バダラメンティ - クルーズ
トリオの初作品は、映画「ブルーベルベット」における。
タイトルはMystery of love
(やはり「floating・into・the・night」に納められている)
見ての通り、主演は、ツインピークスと同じカイル・マクラクランであり、この頃のリンチワールドが、完成型だった。
リンチの感性が最も解き放たれた時期に作られたアルバムなのだ。
ツインピークスブームが去ったのち93年に発売されたセカンドアルバム
「The voice of love」のセールスは散々で、ユニットは解散となる。
彼女の音楽を継ぐものは現れず、おかげで僕は、2枚のアルバムを500回は聞き続けている。
僕のこの十年は、どこへ向かっても袋小路で、悩み、ずっと暗闇を彷徨っているようだった。
その生き方のBGMとして、聞き続けてきた。
大人になって、ジャズの揺らぎが心にしみるようになったというのもあるし
ニューエイジミュージックの安らぎを求めていたというのもある。
人生にピタリとはまったのだ。
最近、リンチは自分で曲を書いている。
バダラメンティは、映画音楽の作曲家として引っ張りだこ。
クルーズも、2002年にソロアルバムを発表している。
別々に歩むソロ活動のCDは全て聴くのだけれど、何かが違う。
やっぱり
作詞:デヴィッドリンチ
作曲:アンジェロバダラメンティ
歌:ジュリークルーズ
の三人による楽曲でないとしっくりこない。
「闇」は限りなく深くないと闇ではないのだ。
ファーストアルバムに
アイリメンバーという曲がある。
聞いていただければわかるが
夜が更け、闇が世界を包む。
悪夢にうなされ、、、やがて空が白んでくる。
という曲だ。
僕はこの曲の、夜明けを迎えるところで安心感を得る。
闇夜は僕の一部であり、漂うことに安堵を得るが
闇にすべてが支配されてしまう恐怖も感じている。
もしも夜が明ければ、闇が消えさえすれば
あとは何とか生き延びられる気がしている。
このアルバムから18年が経ったが、僕は未だに
「夜明けが来てほしい」
と、願って生きている。
僕自身に、そして僕が信じる人たちに。
今日は
into the night
というお香2本を焚いて、この記事を書いた。
into the night]]>
だんだんムズムズしてくる^^;
http://floating.exblog.jp/5008582/
2006-11-23T00:08:00+09:00
2006-11-23T00:18:30+09:00
2006-11-23T00:08:37+09:00
solitarylife
音楽
まずは2005年5月に書いたこの記事を読んでいただきましてー
kakkoさんが誰だかわかったところで、本日のネタ イキますです。
YOU TUBE には何でもあるんすなー
それでは、鈴木〇樹さんです
ハリキッテ、どぅぞっ!
↓↓↓
ポチッとな
↑↑↑]]>
K・ミノーグが涙の復帰公演
http://floating.exblog.jp/4950240/
2006-11-13T22:49:00+09:00
2008-03-21T11:00:36+09:00
2006-11-13T22:49:26+09:00
solitarylife
音楽
【シドニー12日】乳がんの手術を受け、休養していたオーストラリアの人気ポップ歌手、カイリー・ミノーグが、1年半ぶりに故国のシドニーでカムバック公演を行い、満員の観客から盛大な声援を受けた。
11日の夜、「ショウガール・ホームカミング」と銘打った公演で、羽の飾りをつけたピンク色の衣装でシドニーのエンターテインメントセンターの舞台に立ったミノーグは、観客からスタンディング・オーベーションなどで盛大な歓迎を受けた。ミノーグは、明らかに感極まって少し間を置いた後、最初の歌を歌い始め、その後、ヒット曲の数々を披露した。アンコールで、観客に交じって家族と共にショーを見ていた父親に「エスペシャリー・フォー・ユー」の曲をささげる際には、またしても感情がこみ上げてきて、声を詰まらせた。
オーストラリア各紙は、がんとの闘いの後に復帰したこの小柄な歌手の公演を、素晴らしい成功だと褒め称えた。サン・ヘラルド紙は、ミノーグのダンスは手術前に比べると明らかに激しさが少なくなっていたが、それでも観客を狂喜させたと称賛した。
公演はシドニーの後、ブリスベーン、メルボルン、パースを回った後、欧州に渡り、来年1月2日からは英国で行われる。
ミノーグは2005年5月にメルボルンで乳がんの手術を受け、その後、パリで治療を続けていた。
(時事通信) - 11月13日12時8分更新
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ブログサボってたんで、さぞかしアクセス数が減少していることだろうと、恐る恐る開いてみると
ありゃ?増えてる(゜ο゜)
検索ワードが偏っていて、ほとんどカイリーミノーグ。
先週末の復帰公演ニュース配信と同時に検索にヒットしたようです。
今日は、このうれしいニュースを、ご紹介しました。
乳がんがわかったとき、僕が書いた記事。
その願いが通じたかのようで、うれしかった。そして安心した、とても。
何年後になるかはわからないけれど、日本公演が今から楽しみです。
普段、僕のブログを観てくれているのは、カイリーミノーグを知らない人がほとんどだと思うので、そんな人でも楽しめる小ネタも紹介。
Come into my world
のプロモションビデオ
最初の1分間はいたって普通なんですけど、その後凄いことになってく。
実は背景もちゃんと増えてて、繰り返し見ると3回目あたりからニヤニヤ(  ̄ー ̄)
何回NGだしたんだろ?]]>
TWILIGHT(ELO)
http://floating.exblog.jp/2137696/
2005-06-26T01:33:17+09:00
2005-06-28T01:23:03+09:00
2005-06-26T01:31:54+09:00
solitarylife
音楽
本が売れて、映画も売れて、、で、今度はドラマと舞台だそうだ。
本も映画も見てないのだけど、ドラマの第一話は見てみようと思う。
理由は、
主演がチビノリダーだから ヾ(- -;)コラコラ
もとい、、
主題歌がエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のトワイライトだから。
1981年の作品だから、もう24年も前の作品。
リーダーのジェフ・リンは、ビートルズを崇拝していて、ELOはビートルズ風の楽曲を、当時珍しかったシンセサイザーを使い、更にオーケストラを組み合わせてゴージャスにした、風変わりなバンドだった。
派手で厚みのあるサウンドは洋楽の入門編に最適で、次々アルバムをレンタルして聴いた。
トワイライトが収録されたアルバムタイム(試聴できます)はELOスタイルの完成形となったアルバムで、実験的な試みを繰り返していたバンドだけに、変化のなくなったその後、人気は落ちていく。僕は、派手なアレンジを取り払った時のメロディアスな曲調にルーツを求め、次第にビートルズを聞くようになっていった。
また、同じ頃、ジェフ・リンがプロデュースしたオリビアニュートンジョンのザナドゥもステキで、そこからカントリーミュージックに入っていった。
「カントリーロード」かぁ、、、懐かしいなあ・・・
本来、ビートルズがあって、オリビアがあって、その後のジェフ・リンなのだけど、逆の歴史で聴いていきました。
後に、ジェフ・リンは、解散したビートルズのプロデューサーという、不思議なポジションに着くこととなる。
ジョージ・ハリスンのソロアルバムが、ビートルズテイストたっぷりに仕上がったのは、多くのアイデアをジェフ・リンが出したんだろうなあと思ってます。
ビートルズよりビートルズらしい。
天才か?変人か?・・・ってタイプですね。
そういうアーティストが好きです。
電車男に合わせて、ELOのベストが出るそうだけど、選曲がいまひとつ(最後のヒット曲コーリングアメリカはないし、ザナドゥはボーカルがオリビアじゃない)。
それにトワイライトはタイムの一部分なので(全曲がほとんどつながっている)、僕は断然「タイム」で聴くことをお勧めします。数年前にボーナストラックが追加されていて、良い曲なんですが、エピローグの後に追加されている為、アルバムのバランスが崩れてしまっています。古いオリジナルなら、中古で探せば1000円内で手にはいるでしょう。
そして、ELOの曲の中でもトワイライトのような曲がいいなあと思った人には、ジェフリンのソロシングル「ビデオ」がお勧めです。映画「エレクトリック・ドリーム」のサントラにジョルジオモロダーに混じってひっそり納められてますが、これがなかなか手に入らない。
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余談
エヴァンゲリオンやキューティーハニーで有名な庵野秀明監督等は、学生時代の1983年に、トワイライトのミュージッククリップ風アニメを作ってメジャーになりました。
アニヲタ界では伝説です。]]>
We Should be Dancing / KAKKO
http://floating.exblog.jp/1932411/
2005-05-31T14:00:19+09:00
2005-06-03T07:54:30+09:00
2005-05-31T14:00:36+09:00
solitarylife
音楽
1990年にイギリスでダンスポップ歌手デビューしたカッコーさん。
今は、日本で活躍する有名女優。
この人だ~れだ
答えは数日後に追記しまーす。
We Should be Dancing
KAKKO
Aside.THE JIGSAW 12"MIX 6:36
Bside.①RADIO MIX 3:17
②INSTRUMENTAL 3:17
Produced by STOCK AITKEN WATERMAN
Engineered by KAREN HEWITT
Mixed by PHIL HARDING &IAN CURNOW for PWL
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6月1日追記
ヒント:アプリコット
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6月2日追記
正解は鈴木杏樹さんでしたー。
本名が鈴木香公子(すずきかくこ)でカッコーと呼ばれてたのがそのまま芸名になったらしいです。
ロンドン留学中にPWLでお茶くみしながら、随分デビューを待ったそうですが、デビュー曲はSAWのプロデュースにもかかわらず大コケ。曲が酷すぎます。
杏樹さんにユーロビートはミスマッチです。本人もポップスを歌うと思ってたのでしょうが、タイトル通り高速ピッチのド・ユーロビートです。
ヒットファクトリーと呼ばれるPWLでは、プロデュースはシステマチックに割り振られ、売り上げ期待度が下がるにつれて、NO.2、NO.3のプロデューサーへと変わっていくのですが、KAKKOはセカンドシングルで早くもNO.2のフィルハーディング&イアンカーナウに降格。録音されたアルバムが、発売されることはありませんでした。
翌年帰国し再デビューした杏樹さん、あまりこのことに触れたがりません。歌手のオファーは当然あったでしょうが、断ったのでしょうね。
後にWe Shoud be Dancingは穴井夕子さんがカバーしまして、訳詩は杏樹さん自身が担当。その頃からPWL時代のことをポツリ話すようになってきました。
今は、幸せそうですし、いつか落ち着いた曲を聴いてみたいです。
買ったときは960円。今幾らくらいなんだろうな??と、つい下世話な想像。]]>
カイリーミノーグ、乳がん摘出手術成功!
http://floating.exblog.jp/1900595/
2005-05-27T21:50:14+09:00
2005-06-06T00:56:12+09:00
2005-05-27T21:49:57+09:00
solitarylife
音楽
成功だそうで、よかった、よかった。
誰でも一度は、アイドルのファンになったことがあると思うんだけど、カイリー嬢は、昔僕がファンだったアイドル。デビューから18年経った今でも細々とファンを続けている。
同世代が、おにゃンコクラブやら、光ゲンジとかのジャニーズ系のファンになる中、和好きの僕がなぜか、オーストラリア出身のカイリーのファンになった。
これが1987年1月発売のファーストシングル「I should be so lucky」
ブリブリのアイドルですねえ。元々は女優&モデルで、歌手とあわせて3足のわらじでやってたんだけど、いつのまにか、同世代の歌手である、マドンナやらマライアを追い越した感がある。親しみやすい人柄から、幅広い年齢層でファンを獲得し、オーストラリアでは、オリビアニュートンジョン以来の国民的人気歌手。
155cmと小柄な体に、愛嬌があって、本国オーストラリア、UKは元より、日本人にも受けがよい。
僕がファンになったきっかけは、当時イギリスのヒットメーカーだったSAWが大型新人をプロデュースするという噂でマキシシングルを聞いたこと。
キャッチャーなリズムと落ち着いた高音に魅せられた。
SAWとは、主にアレンジを担当するマイク・ストック、作曲とリズムパターンを担当するマット・エイトキン、プロデュースを担当するピート・ウォーターマンの3人によるプロデューサーチーム。
オールディーズやABBA風の曲をダンサブルに仕上げるのが特徴で、彼らの所属するレーベル名PWLから、PWLサウンドと呼ばれた。
1984年からの10年弱の間、ヒット曲を量産し、カイリーがデビューした1987年頃は、ヒットチャートトップ10に常に数曲のプロデュース曲が入り、毎週のように彼等のプロデュースしたアルバムが発売されていた。
小室哲哉が彼等の影響を受けていたのは有名。
最近では、トミーフェブラリーの楽曲を手がけるMALIBU CONVERTIBLE氏がSAWの生き写しと言い切れるほど同系の曲を数々手がけている。
SAWやPWLサウンドを知らない人も、トミーっぽい曲である程度予想してもらえると思うけど、曲はどこまでも薄っぺらなのだが、聞く人によっては特別に気持ちの良いリズムパターンを持つ。
シャカ♪シャカ♪してるだけで嫌いという人も多い。
1日1曲のペースで作ってるんだから、深みのある曲なんてほとんどなかった。
でも、半分ノリで過ごしていた昔の僕やティーンエイジにとって、彼等の作る使い捨ての楽曲はとりわけ気持ちがよかった。
閑話休題
1990年代に入り、才能の枯渇からSAWは低迷し、それに合わせて歌姫カイリーの人気も失速。
アイドルからの脱皮、恋人の自殺に苦しみ、復活を遂げるのは1990年代が終わりを告げる頃となった。
復活後はセクシー路線で活躍し、きわどいファッションが多くなった。またアートにも積極的に参加している。
ヌードには数度なっているが、どれもボディーペインティングなどを発表する媒体としての役割で裸体を魅せており、エロ系とは一線を引いている。
今、36歳、同世代として、第一線で活躍を続ける彼女に元気づけられていたが、先日の突然のガンの告白と婚約の同時発表、そして手術。
ガン告知を受けてすぐ婚約を決めたそうです。
心強いパートナーがいて、何より勇気づくでしょう。
手術が成功して何よりだが、もし乳房を除去していれば、セクシー路線を続けることは難しくなる。今後数ヶ月続く放射線治療の影響もでるでしょう。
彼女は復帰後のチャリティー活動に意欲を示していると伝えられている。
僕は彼女の人柄が変わらない限りファンを続けると思う。
先日、フォーリーブスのコンサートに黄色い声を上げるおばちゃんの映像を見て「なんだかなあ」と思ったんだけど、きっと僕もああなるな。
今一度復活して、また、伸びる高音で魅了して欲しい。
明日5月28日は彼女の37歳の誕生日です。
完治と復活を願い、デビューアルバムを殿堂(ライフログ)入りすることにします。
写真は30代になってからの雑誌表紙の一部(オフィシャルHPより)]]>
ロング・バケーション
http://floating.exblog.jp/1213227/
2005-03-21T23:59:00+09:00
2005-03-22T23:24:27+09:00
2005-03-22T10:31:20+09:00
solitarylife
音楽
大滝詠一 A LONG VACATION=元祖ロンバケ
1981年3月21日に発売された、ジャパニーズポップス史上、類まれな傑作です。
(そしてこれが僕にとって重要なのだけど)生まれて初めて買ったアルバムです。
発売日の少し前、ラジオでかかった「君は天然色」「恋するカレン」「さらばシベリア」を聞き、予約をした。
LPレコードの購入には僕の一月分のお小遣いを要する。
それを名前も聞いたことが無い歌手に使うという、子供にとっては一大決心。
期待は裏切られず、それはそれは凄いアルバムだった。
レコードが磨り減るまで聞いた。
普通の磨り減るとはちょっと違う。
レコードは僕にとって大事なものだったから、レコードをカセットテープに録音し、テープが磨り減るまで聞き、また録音しなおして聞く。
その繰り返しで、レコードがすり減ってしまったのだ。
その後、日本人初のCDとして再発売され、再購入。
それから24年、ずっとヘビーローテーションで聞き、今でも僕にとって至極のアルバム。
最初のアルバムが最高のアルバムだったわけだ。
昨年は生茶のCMで「君は天然色」が使われ、現在はソニーハンディーカムのCMで「スピーチバルーン」が流れている。
現役のポップスとして使われ、どちらもステキなCMに仕上がっている。
いつかサインをもらおうとLP2枚「A LONG VACATION」と希少版「SING A LONG VACATION」は大事にとってある。
スペクターサウンドの後継者と呼ばれたときもありました。
ビートルズのプロデューサーなどで有名だったフィルスペクター氏はすでに過去の人。
終には2年前に殺人犯になってしまいました。
氏も自らロング・バケーションをとってから久しく、仙人と呼ばれいよいよ伝説の人になりつつあります。
今、今日発売の「ナイアガラムーン30周年記念盤」の裏ジャケ写真を眺めています。
再発の度に撮り直される写真には、30年前と同じシャツを着た仙人が横たわっています。
マニアなら気づいていますが、この写真にはきっと幾つもの秘密が隠されているはずです。
左右には、20年前「まだ使っていない隠し玉、最後はこれをやる」と語っていたプレスリーのEPジャケが散乱している。
ファンの間では山下達郎&竹内まりや夫妻との「ナイアガラトライアングルVOL.3」製作が噂されている。
長い休暇から覚め、オリジナルラストアルバムへ向けて再始動するのではと願っていますが、「期待は失望の母である、ムッフッフッ」という氏の言葉を思い出し、苦笑。
ホント数十年、毎年毎年期待と失望の繰り返しです。]]>
エンドレス サマー
http://floating.exblog.jp/629142/
2005-02-10T07:53:06+09:00
2005-02-10T09:04:31+09:00
2005-02-10T07:51:05+09:00
solitarylife
音楽
特にファンと言う訳ではないけど、聞きなれたサウンド。
夏のドライブ用BGMにはこれほどあたり障りの無い音楽は無い。
ドライブに限らず、夏にラジオをつければ彼等の曲が否応なしに流れてくる。
意識せずとも、身近にあったサウンドだった。
そんな、ビーチボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンのライブチケットを買った。
僕はあんまりライブに行く人じゃないけど、身近にあった曲に対して自分なりのけじめをつけに行こうと思った。
今回行かなければ、伝説の人をもう見ることはもうできないと予感したというのもある。
ビーチボーイズはデビューから40年以上経った今でも解散していないが、僕が生まれたときにはすでに活動を停止していた。
彼等が「smile」というアルバムで転身を図った結果、アルバムを発表できなくなり、ブライアンが精神を病んでしまった結果だということは大学生の頃に雑誌で知った。
世捨て人だったブライアンは最近、幻のアルバム「smile」を発表し、ツアーを開始した。
人生にけじめをつけるつもりでいるのだろう。
「smile」ツアーについては、萩原健太氏の批評を参照してほしい。
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朝日新聞2月3日夕刊より
(画像をクリックすると拡大します)
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なんで、評論を貼ったかというと、会社の出張でライブに行けなかったので、僕には批評できないのです。
ブライアンのラストステージを見れなかった意味を考えた。
彼等は「終わりなき夏」に生きる人だ。
けじめがどーのこーのいう現実の世界の人ではない・・・そう捉えた。
僕は、これからの夏も、ノウテンキなサーフィンUSAやカリフォルニア・ガールズを、今までと変わらず聞き続けていくことにします。 ]]>
ペパーミント・ブルー
http://floating.exblog.jp/175707/
2004-12-30T01:02:14+09:00
2005-01-05T22:51:49+09:00
2004-12-30T01:01:24+09:00
solitarylife
音楽
思い出したのが、大滝詠一氏のアルバムEACH TIMEに収録されている「ペパーミント・ブルー」である。
10、20代の人にミントブルーと言ったらガムなのかな?
30、40代なら間違いなく「ペパーミント・ブルー」と答える。
ガムの名付け親は絶対若くないはずだ。
さて、ご存じのとおり(ペパー)ミントは紫蘇科で、葉は緑色、つまり色は「ペパーミントグリーン」。
ペパーミントブルーなんて色は存在しないのだけど、清涼感や空色のイメージと重なって、ペパーミントブルーは架空の色としちゃ「あり」。
エレファントブレス(そんな色名がかつて実在した)なんかより、よほどしっくりいく。
「ペパーミント・ブルー」の作詞は職人・松本隆氏。
歌詞からサビ部分を抜き出してみると
♪
風はペパーミント
ブルーのソーダが
指先に揺れている
斜め横の椅子を選ぶのは
この角度からの君が とても綺麗だから
♪
そう、歌中ではペパーミント・ブルーは色名として登場しない。
あくまでペパーミントブルーではなく、ペパーミント・ブルーなのだ。
「嘘は言ってませんよ~、でもありそうな色でしょ?」
と、問いかけ、見事世間に広めてしまった。あっぱれ松本隆!
アルバム「EACH TIME」は大ヒットした前作「A LONG VACATION」の流れを踏襲し、当初「A LONG VACATION 2」として発売が予定されていた作品。
シングル用の2曲が諸般の事情で収録できないまま、1984年3月21日に発売。
「ペパーミント・ブルー」が、宣材の重荷を一身に背負うことになる。
結果、このアルバムは大ヒットしたものの、常に「A LONG VACATION」と比較されたあげく、ポップス史において殿堂入りすることなく終わる。
のちにシングル用だった2曲が追加され「complete EACH TIME」として再販。
当初収録できなかった2曲のうち、「バチュラーガール」については、英語としておかしいと指摘があり収録が見合わせされたのだが、そんなこと言ったらペパー・ミントブルーだって、「日本語としておかしい」と指摘があってもおかしくない。きっと、最初は「・」がなかったんだろうなと松本氏の苦悩を想像する。
大滝詠一氏については何度も書くことになるだろうと思ってたけど、最初は絶対「A LONG VACATION」についてだと思っていた。
まさか「EACH TIME」をこんな切り口で書くことになろうとは・・・
旅は意外性があるから面白いのだなあと、象のようなため息をつく僕であった。]]>
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